My Epicurism

 エピキュリズムは日本語に直せば快楽主義となり、その実践者はエピキュリアンと呼ばれる。エピキュリズムの語源は古代ギリシャの哲学者エピクロスからきている。

 快楽主義というと、酒だ女だ博打だのをこよなく愛する主義のごとく聞こえるが、エピクロスの教え自体はその手のイメージとはかなり異なっている。

「その快楽を追求した結果、その後に大きな不快や問題が生じるようなものは避けるべきだ」

「欲求には自然で必要な欲求、自然だが不必要な欲求、不自然かつ不必要な欲求の三種類があり、自然で必要な欲求のみを求めよ」

「自然の中で簡素に、心穏やかに生活することで、健全なる快楽を得なさい」

 というような感じで、考えそのものは禁欲主義とは違うけれども、行動に関してはストイックなものを推奨する―――そんな哲学であったらしい。

 さて現代において、エピキュリズムあるいはエピキュリアンという言葉がどういう使われ方をしているかというと、やはりエピクロス本来の思想とは異なるものになっているようである。

 現代のエピキュリズムは、大抵、ある傾向を有する趣味に耽溺することを指して使われる。

 「クラシカル」で「エソテリック」。「ラグジュアリー」で「ファッショナブル」。非合法ではないがちょっと「不健全」で「マニアック」。「個人的」かつ「内向的」で、正直「実益や実用性は低い」。しかしそれを愛する当人はそれを「高尚」かつ「文化的」と考え、自らに「精神的喜び」を与えてくれると信じている―――そういった趣味を指向することである。

 具体的な内容は人それぞれだろう。

 知る人ぞ知る文学や芸術を好むのもそうだろう。高価な酒にこだわること、めずらしいグルメを追い求めることもあたるだろう。葉巻やパイプタバコなどはそのジャンル自体がエピキュリズム的だし、金を惜しまず何かをコレクションすること、ファッションを追求するのも該当しよう。

 さてかくいう私も何年も前から「エピキュリアン的に生きたい」と考え、いろんなものにあれこれと手を出している。

 それによって手にした情報、記録、感想などを、ちょいと世の中に公開してみようかと思い立った。

 中にはさっぱりエピキュリアン的ではない―――古典的でも難解でも、高級でもお洒落でもないものも混じっているかもしれないが、自分に「精神的喜び」を与えてくれたモノなら、積極的に書いていきたいと思う。

 ゆえの「私的」エピキュリズムである。個人の趣味日記といえばそれまでだが。